ピアノ協奏曲第1番・第2番とは?

 

ショパンが19〜20歳のときに書いたピアノとオーケストラの協奏曲。華麗で難度が高い技巧を持ちながら芸術性が高いものとして、ピアノ音楽史に革命を起こした最高傑作。
 


 

2つとも、20歳のとき、ショパン自身が演奏している
ピアノ部分はショパンらしさを感じるところがある。
 

華やかな技巧の中に見え隠れする憂鬱さを帯びた表情、流れるような歌が途切れず美しく続く音色、他の作曲家には見られない音楽センスが特徴!
 

1番に3曲、2番3曲、計6曲のピアノ協奏曲しか書かなかったショパン。
本音は、ピアノ協奏曲を書きたくなかったかもしれない。
 
 

当時協奏曲は、作曲家が腕前を人々に認めさせるための重要なジャンルとして発達していた。
 

音楽家としてデビューするにはどうしても避けて通れない道だった。
シャイな彼にとって大勢の前で演奏するは苦手だったという話もある。
それでも、書き上げて皆の前で演奏し、音楽家として足掛かりを作った。
 
 

特に、第1番は、ウィーンへ出発する直前に行われたワルシャワでの告別演奏会においてショパン自身のピアノ独奏により初演された。
 

● 「ポーランドのみんな今までありがとう、向こうへ行って成功したら必ず戻って恩返ししたい!」

 

そう言って、寂しさを顔に出さず故郷ワルシャワを離れたかもしれない。
それは、Key:Eの3楽章の全てが雄弁に語っている!
 
 

華やかで夢見るショパン!第1番!

 
作曲に取り組んだのが1830年4月。完成したのが8月。初演10月11日。
その間に親友ティトゥスに次のような手紙を送っている。
 

新作のコンチェルトのアダージョ(2楽章)はホ長調だ。これはことさら効果を狙ってのものではなく、むしろロマンツェ風の、静かで、憂いがちな、それでいて懐かしいさまざまな思い出を呼び起こすようなある場所を、心を込めて、じっと見つめているようなイメージを与えようとしたものなのだ。美しい春の夜の、月光を浴びながら瞑想する、そのようなものでもある。

– wikipediaより引用 –
 

さすが詩人と呼ばれることだけある。難しい事をおっしゃる!(笑)
片思いの恋人と別れるのが辛い、そういう気持ちで作ったのだろうか?
 

いずれせよ、ショパンが別れる時に、彼らしい品位を保ちながら内面に持つ力強り気持ちが音楽として表れた曲のように思えてならない。
 
 

切なすぎる恋の曲!第2番!

 

僕は悲しいかな?僕の理想を発見したようだ。この半年というもの、毎晩彼女の夢を見るが、まだ僕は彼女に一言も話していない。あの人のことを想っている間に、僕は僕の協奏曲のアダージョを書いた。

 

これまた親友ティトゥス宛に上のように書いている。
彼女とは、初恋の人物「コンスタンツィア・グラドコフスカ」。
ワルシャワ音楽院の声楽科の生徒。ショパン曰く絶世の美女。
 

結局彼は、彼女に告白することができなかった。
 

彼の死後、このことを彼女が知ると、次のように述べたらしい。
 

● 「あの人は 空想にばかり耽っていて頼りにならない人だった。」

 

一説には「記憶にない」 とあり、あまりにそっけない…
何か理由があってそう言ったかも、そう思わないと、ショパンが寂しすぎる!
 
 

最高級品「ショパン:ピアノ協奏曲」を聴いて見る!?

 

少しショパンを聴いてみようかな?と思っても膨大な数のCDがあり、迷ってしまう。最高の音楽を聴きたい!そんなあなたへ!古今東西のショパン曲を聴いた著者が、厳選した最高級品3つのCDをご紹介!
 

Rafal Blechacz(ラファウ・ブレハッチ)

2005年ショパンコンンクールの優勝者。著者が最も好きで尊敬するピアニスト。気品溢れる音楽は、誰しも胸を打たれるはず。ショパンにお顔が似ていることから、ショパンの生まれ変わりと話題となった。
 

Maria Martha Argerich( アルゲリッチ )

1965年ショパンコンンクールの優勝者。著者が初めて購入したショパンピアノ協奏曲。運よくこのCDに出会えて、ショパンを好きになった。自由奔放に弾く彼女のショパンは、まさに「ヤマタノオロチ」。とにかく凄い!
 

◉ Krystian Zimerman(ツィマーマン)

1975年ショパンコンンクールの優勝者。数多くショパン協奏曲をお聴きになった方は、オーケストレーションにビックリするハズ!バック音楽を貧弱と言わせない!これほどオケとピアノが融合するショパンは聴いたことない!