マリア・ヴォジンスカとは?

 

ショパンの父親であるニコラが経営する寄宿舎いたフェリクス・ヴォジンスカの妹。
 


 

ショパンが高校生の頃くらいに、ヴォジンスカ家を訪れて幼いマリアにピアノを教えていたそう。
ヴォジンスカ家とは昔から家族ぐるみとの付き合い。
 

1830年(ショパンが20歳の時)に、ワルシャワ動乱で、一家はドイツのドレスデンへ移住。
 
 

両親との最後の別れの後、ヴォジンスカ家へ!

 

ショパン25歳、8月15日ポーランドの隣国チェコのカールスバートで保養を兼ねて両親と再開!
ここで1ヶ月近く過ごしたそう。それまでの楽しい時間を取り戻すように…。
 

この時の喜びの気持ちを書いたのが、「華麗なる円舞曲Key : A ; 作品34-1
 
 

ショパンがこれだけハイテンションの曲を作るのは、珍しい。
 
 

もちろん音楽にショパンらしい気品もある。
よっぽど嬉しかったのだろう。(^^);
そして、別れはとても寂しかったのだろう。
 
 

その気持ちを埋めるべく、帰り道ドイツ東部のドレスデンにあるヴォジンスカ家へ立ち寄る!
 
 

マリアからの手紙

 
 

8年ぶりくらいに会ったマリア嬢。16歳。
初恋の人コンスタンツヤに似ていた!
 

夫人からマニアにピアノを教えて欲しいと言われて、彼女にピアノを再び教える。
マリアといると心の安らぎを感じたショパン。
 
 

コンスタンツヤに似ていただけではない。
何ヶ国語も操る教養高い才媛に成長していた。
ピアノも歌も絵も上手でなかなかの腕前だったという。
詩も好きで文学にも通じていた。
 

ショパンは自分に持っていない彼女の才能と彼女自身の美しさや性格に惚れ込んでいった…
 
 

翌年、1836年7月彼女に求婚。(ショパン26歳、マリア17歳)
ただし条件があった!
 

● 夜更かしをしない
● 冬は暖かい靴下を履くこと
● 必ず薬を飲むこと

この3つが守れたら結婚を許すというもの。
 

結果、ショパンは友達リストからオペラに行こうと誘われ断れず、夜更かしをし体を壊してしまう。
条件を守れず破局。
 
 

ショパンはこの別れにショックを受けて、1年ほど立ち直るのに時間がかかったそう。
逆にマリアからするとどうだろう。ショパンと再会して一番喜んだのはマリアだったとのこと。
少なくとも、彼自身に興味を持っていたし、周りから見てナイスカップルとのことだった。
 
 

それなのに、どうして?
 
 

彼女からの手紙に「私のことを忘れないでください マリア」と書かれたそう。
著者はこれを見て、夫人にそう書きなさいと言われて書いた文言のように感じてしまう。
彼女が駆け落ちしようと考えなったのは、そこまでやろうとは思わなかったから。
 

本当に、どうしてもお互い好きで堪らなかったら、親の言うことを振り切ってやると思う。