フォンタナとは?

 

Julian Fontana(ユリアン・フォンタナ)。1810年7月31日ポーランド生まれ。1869年12月23日逝去。ポーランドの作曲家、ピアニスト。高等学校からワルシャワ音楽院までショパンと一緒の同級生
 


*-wikipediaより引用-*
 

著者が拝見した彼の第一印象は、恰幅が良い政治家?音楽をやっている人には見えない(笑)。
どう見ても華奢だったと言われるショパンにパシリにされる人間には見えない。
 

逆に、ショパンをパシリにしそうな風貌!
 
 

ショパンには逆らえない?

 
 

1830年に兵隊としてポーランド11月蜂起に加わったことから、1832年に亡命を余儀なくされた。
パリの亡命者集団と一緒になり、ショパンに助けを求め、連絡を取り出した。
 

パリにきてからは、ショパンの秘書兼雑用係になってしまう。
この頃のショパンは、活躍している音楽家と交流を深め、一流音楽家のスター入り。
演奏家として超充実の日々。フォンタナからすれば、神様ショパン様といったところだろう!
 
 

彼は、ショパンの楽譜を写譜し清書し、出版社と交渉、アパート探し、家具探し、住居の管理や家賃の支払いなど金銭管理、郵便物の仲介や転送、召使の雇い入れ、服や小物の買い物など、かなりイイように使われていたよう。
 

ショパンから楽譜を写譜・聖書を頼まれた上「楽譜をシワにするなよ」とまで手紙に書かれている。
 

完全にショパンのマネージャだ!しかも10年ほど忠実に行っていた!
彼だって、ショパンと同じワルシャワ音楽院を卒業した優秀な人物。
日本でいう東京芸術大学。そんな方が、どうしてそこまでショパンに仕えたのか?
 
 

それは、頼まれても断れないタイプの人だったから。
NO!と言えない優しい心の持ち主だったからだと推測。
フォンタナへの手紙の一部を紹介すると、指示の細かさに驚かされる。
 

「…前に僕が使っていたような壁紙を探してください。キジバト色で光沢のあるもの。ふたつのお部屋はどちらも艶のある細かな濃緑色のひだで縁取ったものにしてください。でも、もっと近代的で綺麗な壁紙が見つかって、君がお気に入り、僕も好きそうだったら、それでもいいです…続く」

 

著者だったら、気が滅入りそう。抜け出したい。でも、彼は違った。
 

ショパンの姉と同じ、彼もショパンの才能をすごく認めていて、少しくらい我慢すると決めていたかも。
楽譜の写譜は、すごく単調な作業。人の書いた判読しづらい文字・記号を認識して清書するのだから…
相当なストレスを抱えたに違いない!
 
 

精神的苦痛の蓄積・肉体的苦痛により命を絶つ!

 

1844年、ショパンを離れてアメリカへ行く。(フォンタナ最新資料)。
ここでも、貿易関係、両替商、語学書執筆などいろいろと仕事をしていたようである。
ピアノ演奏や作曲のお仕事もこなしていたそう。
 

フォンタナは結婚しており、晩年は妻にも子供にも先立たれ、聴覚障害、苦しい極貧生活を経験し、絶望して自殺したという。切なすぎる..良い人は短命だ(*_*)