フジ子・ヘミング.ピアニストとは?

 

Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko(ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ)。
1932年12月5日ドイツ生まれ。強い魂を伝える凄腕ピアニスト。
 

 

経歴を見てみる!

 

【幼少時代から学生時代】

1937年 – 5歳の時、ピアノを始める。日本へ移住。
1942年 – 10歳の時、ドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏に師事。
1948年 – 16歳の時、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失う。
1949年 – 17歳の時、青山学院高等部在学中、デビュー・コンサートを果たす。
1953年 – 21歳の時、第22回日本音楽コンクール大月フジ子名義で入賞
1954年 – 22歳の時、第23回日本音楽コンクール大月フジ子名義で2位入賞

コンクールでは、様々な賞を受賞。大学卒業後、日本の多数のオーケストラと共演する。
 
 

ちなみに、日本音楽コンクールは、毎日新聞社とNHKが主催する日本のクラシック音楽のコンクール。
日本国内で最も権威があり、伝統ある音楽コンクール。若手音楽家の登竜門として知られる。
1932年に産経新聞主催により「音楽コンクール」が発足し、毎年開催されている。
 

音大に在学している生徒は、自身のキャリアを築くために挑戦する場所。
勉強で例えるなら、法律家の受験生(たまご)が司法試験に挑戦するようなもの。
日本音楽コンクール入賞者一覧
 
 

【ヨーロッパ時代から日本帰国後】

1961年 – 28歳の時、ベルリン芸術大学へ留学。
1968年 – 35歳の時、国際的指揮者バーンスタインのコンサートへ行き面会する。
・その場で、リスト「愛の夢」「ラ・カンパネラ」を弾き認められた。リサイタルの機会を得る。
・しかしリサイタルの1週間前に風邪を引き、両耳の聴力を失い、リサイタルはボロボロ。
1973年 – 40歳の時、スウェーデンでピアノ教師の他に病院の掃除をして生計を立てた。
1995年 – 62歳の時、母の死をきっかけに、日本へ帰国する。
1999年 – 66歳の時、NHKの『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大反響。

空白の期間は、親からの僅かな資金援助とピアノを教えて生計を立てていた。
 
 

とにかく、貧しい生活を余儀されたとのこと。
酷い時は砂糖水だけで過ごした日もあったよう。
そして、両耳の聴力を失っていた期間は2年程!
 
 

音がない世界。演奏家として致命傷を負った。計り知れない苦しみだったに違いない…。
 
 

もちろん、現在は左耳が40%ほど回復していると言われている。
テレビ番組でブレーク後、コンサート依頼が殺到!
今も過密スケジュールの中、演奏をこなしている!
 
 

フジ子の人柄

 

・ 菜食主義者、クリスチャンとして知られている。(特にジャガイモが一番好き)
・ 20歳からずっと愛煙家である。
・ 趣味は絵画、裁縫、読書、水泳などで、バレエや映画の鑑賞も好んでいる。
・ 愛猫家、愛犬家の動物愛護家である。
 

ちなみに、絵画に関しては、個店を開いたりするほどの腕前。
また、自身の本やCDのジャケットにも使用されている!
 
 

演奏スタイルは?

 

音に色をつけて弾く。
自然と聴いってしまう。
 
 

心が自然と癒される。
 
 

フジ子の人生を音で表現しているかのよう。
悲しくも優しい音色。ずっと聴いていたい…
 


 

もちろん、賛否両論がある。
 

コンサート会場へ訪れた方から、ミスタッチが多いと辛辣に批判を受けることがある。
それはある。ただ、そういうお方は、ピアノをパフォーマンスの一種と捉えている。
だから完璧な演奏とか楽しさを求める。それらが満たされないので、批判する。
 

フジ子・ヘミングさんの演奏は、ストレス発散や快楽を得るものではない。
彼女は聴き手に強い魂を伝えようとしている。それも故意ではなく自然と。
 
 

彼女の気持ちに少しでも寄り添って欲しい!1cmでも、いや5cmでも良い!
そうすれば、きっと音色を純粋に、心で上品に味わうことができるはず